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最高の休日の過ごし方とは?外出できない自粛GW期間中に人生の意味を問う

GWの連休期間にも遠出を控えていた山ボーイです。いつまで続くのこの生活。

緊急事態宣言下での行動自粛の考え方

日本という国では国民の行動を強制できないため、あくまで「お願い」しか出てきません。ので、「もう政府の言うことは信用できない」とばかりに、レジャー施設への外出や外飲み家飲みが増えています。しかし、感染力の強いイギリス株の国内蔓延、インドで猛威を奮っているインド株の脅威が高まってきています。3密を守れば感染リスクはほぼ無い、と言っていた頃とは状況が変わってきています。

山ボーイの考え方はこう。

自らが重症化して死亡リスクを持つのかはさておき、自分がウイルス蔓延に積極的に加担すべきではない。それが、社会を回す大人としての責任であり、「海なら大丈夫やろ」「山なら大丈夫やろ」という行動は、こと皆が移動したくなるGWにおいては選択しないようにしています。迂闊な行動によって、仕事なり社会的地位を失ってしまうこともありえる状況です。

実際、登山客が増えて山が大混雑していたり、海や観光地を求めて江ノ島が大混雑しています。我が家の周りにも遠方からの路駐が増えて住民みんな迷惑しています。新緑の季節、外に出たいよね。気持ちはわかる。

テレビのニュースを眺め、そんなことを考えながら自宅の庭で日向ぼっこをしていたわけです。

山ボーイは郊外の戸建に住んでいるから庭も緑も身の回りにあるけど、都心のマンションに住んでいる人にとっては自粛生活は苦痛以外の何物でもないよね。インドア趣味の方とはいえども、さすがにネタ切れするし、日光を浴びないのも健康によくない。

そもそも、便利な都心に住むということは、足りないものを「外」に求めるライフスタイル。緑豊かな景色が見たかったら、自然豊かなところに遊びに行けばいい。子供が自由に遊ぶ、走り回るために、公園に連れていく。共用の施設、便益をアウトソースしてより充実した生活にすべく、日々を回していく。そんなアウトソースを前提としたライフスタイルが転機を迎えているのかもしれません。

日差しを浴びるのってとっても気持ちがいい

新緑の季節。庭のアオダモとアラカシの若葉がまぶしい。雲ひとつない快晴の空とのコントラストの感じが大好きです。庭のメンテナンスをしながら、気持ち良い日差しを満喫したくなったのでウッドデッキで大の字に寝そべり、太陽のエネルギーを全身で受信。ああ、気持ちいい。色々考えてモヤモヤしていた頭の中がスッキリしてくる。

歳をとってくると、日焼けすると肌もボロボロになるし、顔にもシミが増えてきたりして日差しを避けがちです。でも、ヒトとしての人生の悦びのひとつは、心地よい日差しを全身に浴びることだと思うのです。日差しを浴びるとビタミンDも作られるし、夜の快眠にもつながるセロトニンも生成される。健康の源。

遠出は自粛しているGWだけど、庭で日差しを浴びてちょっぴり日焼けし、健康的な顔色になるだけで充実した休日を過ごした気がしてくるものです。

庭での日光浴も気持ちいいけど、本当は潮風を浴びながらビーチで甲羅干ししたい。そう、サーフィンの合間の休憩タイムのように。潮風と、甘ったるいワックスの香りが混ざった、山ボーイにとっての青春の香り。

山ボーイにとっての最高の週末の過ごし方とは?

誰にも気兼ねしなくていい週末。存分に大自然を満喫できる週末。

横には妻がいて、子供たちがいて。家族で一緒の時間を過ごす。

 

土曜日の朝、窓から差し込む日差しで目を覚ます。

窓の外にはビーチと海。目を細めるほどのまばゆい青空が視界いっぱいに広がる。

窓を開けて、潮風の匂いを嗅ぎながらコーヒーを淹れてスーッと深呼吸する。

朝の涼しい時間に海沿いの道を散歩する。すれ違う人と軽く挨拶を交わす。

今日一日、何をして過ごそうか。

SUPで海に出ようか、釣りでもしようか、子供たちと海水浴でもして遊ぼうか。

一日の予定は真っ白だから、この「居場所」をベースにして、大自然と存分に遊ぼう。

時間は十分にある。

そして、一日中、自然と遊んでクタクタな体と心地よい充実感を抱きながら床につく。

 

毎日がこんな生活だと飽きてしまいそうですが(笑)、今の山ボーイの理想の週末の過ごし方はこんな感じ。移住せずとも海沿いのペンションに2泊すればとりあえず実現できそうです。家族との合意形成も必要ですね。

人生の意味って何だろう

こんなことを考えていた自粛GWでしたが、自分は結局何がしたいのだろう?ってグルグル考えていました。人と人との直接的な接触が制限されていくこれからの生き方(ニューノーマル)が予想される中で、デジタルで代替できるもの、できないものとは?

家族ですごす時間って何なのだろう。

なぜ大型連休には外に出かけたくなるのだろう。

わざわざ出かける用事を作らないと消費できないほど、人生の自由時間が長すぎるのだろうか。

色々調べていて、「人生、死ぬまでの暇つぶし」という言葉に出会いました。これも真理。

 

生活の崩壊を経て、日々の「用事」に向き合う価値を考えてみた|徳谷 柿次郎
全国取材のスタートを切ってから丸5年が経過した。最初の2年間は会社員として、残りの3年間は経営者として。 過去何度も怨念みたいに言語化しているが、月に何度も数百kmの移動を繰り返すのは疲れる。どこでも眠れるような旅人にとって不可欠なスキルが...

こんな記事にも出会いました。そうだよねー、そのとおり。みんな、中途半端に時間があるから、ゲームとかで擬似的な「用事」を作って人生の時間を埋めてるんだよね。自分の身の回りが「用事」にまみれてくると人生が忙しく充実してくる。必要とされている気がしてきて居場所ができてくる。けど、それに縛られすぎると人生の自由度や可能性が下がっちゃう気もするので、バランスをとりながら用事を増やしていきたい。

(自分を含む)誰かのために何かをする、それが用事。歳をとってくると、単に楽しい面白いだけでは動けなくなってくる。大義名分、意義を大事にしながら、自分の人生のみならず、自分の周囲数メートルにポジティブな効果を与えられるような毎日を過ごしたい。

それが山ボーイの人生観です。

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